ゆっくり急ぐ朝のひととき(2)

●前回のお話 ゆっくり急ぐ朝のひととき(1)

・・◇◆・・

「あ~あ、ちょっと寝過ぎちゃったかな。」

時計を見ると、8時を過ぎていた。あら、朝食の準備を急いでしないと彼がお腹をすかせて死んじゃうわ。

瑠美は大きくのびをした後、ソファの下に乱雑に散らばっている本を拾い上げて書棚に戻した。これまでとはちがって読書に夢中になりすぎて、2冊目を読んでいる途中でいつの間にか眠ってしまったみたい。あらためて書棚を見渡し、一冊の本を手に取り赤いカバーを掛けて書斎を出た。

「おはよう」

声をかけながらリビングに入っても返事がない。

新聞でも読んでいるのかと思ったけれど、その姿はない。

「あれ、今日は啓輔もお寝坊さん?」

ひとり言を言いながら瑠美が赤いカバーをつけた本をテーブルに置こうとしたとき、メモが置かれていることに気づいた。

-おはよう。今日の朝食は外で食べてくる。この間オープンした一軒家レストラン、良ければご一緒しませんか?-

そっか。レストラン「bean&beans」がオープンするってチラシが入っていたことを思い出した。ここの朝ご飯、気になっていたのよね。

我夫ながら休日の朝に粋なチョイスをするではないか。
でも行く前に、誘ってくれても良かったのに。
あ、昨晩喧嘩したもんね。
赤いカバーを付けた本を受け取るまで喧嘩は終わらないということだもんね。

とはいえ、今日は朝ご飯作らなくていいなんて、ラッキーだわ。

瑠美は、急いで顔を洗い、歯を磨き、髪を整えた。化粧水をコットンでなじませ、オレンジ系のリップだを薄く唇へのせてノーメイクをカバーするために眼鏡をかけた。服は・・まあ、見られて恥ずかしくない程度でいいよね。

玄関を出て空を見上げる。少し夏を感じる柔らかい日差しに目を細め、春も終わりなんだなと思った。赤いカバーをかけた本を小脇に抱え、瑠美はbean&beansへ急いだ。

・・◇◆・・

オープンして30分も経っていないのに、bean&beansはモーニングのお客でいっぱいだった。入店まちの行列はできていないものの、窓際の席や、カウンター、テラス席はすでに埋まっていた。

啓輔はどこだろう。瑠美が、店の入り口で店の中をうかがっていると、店員さんが出てきて声を掛けられた。

「いらっしゃいませ。お待ち合わせのかたですね。こちらへどうぞ」
「あ、はい」

なぜ、一人ではなく待ち合わせだと分かったのだろう。不思議そうな表情をしている瑠美を見て店員さんがいう。

「赤いカバーを掛けた本を持っている女性と待ち合わせをしているからと、あのテラス席のお客様から伺っておりまして」

なるほど。でも、私が赤いカバーを掛けた本を持ってくるかどうかもわからないのに。カバンに入れていたら持っているかどうかもわからないだろうに。なんだか、自分の細かい行動というか性格を見透かされているようでちょっぴり悔しかった。

案内された席では、啓輔がのんびりとコーヒーを飲んでいた。

「あら、もう朝食終わったの?」
「いや、君が来るのを待っていたのさ。すみません、Aプレートを二つお願いします」
「かしこまりました。ドリンクはいかがなさいますか?」
「僕は温かい紅茶で。瑠美は?」

私は・・そりゃ、コーヒーに決まっているわよと口に出しそうになったが、同じものをと言うことにする。

「私も、温かい紅茶で。食事の後にお願いします」
「はい。ではAプレートをお二つ、温かい紅茶を食後にお持ちいたします」

コーヒーカップを下げて、店員さんがテーブルを離れると啓輔が瑠美に言った。

「メモに気づいてくれたんだ。ありがとう」

そう言ってほほ笑む啓輔から瑠美は少し視線を外し、赤いカバーを掛けた本を渡した。いつもは啓輔が起きてくる前にテーブルに置いていたから、直接仲直りのしるしを手渡すというのはなんだか恥ずかしかった。

「やった。お待ちかねの赤いカバーの本。これで仲直りだね」
「そうね。昨日はごめんね」
「いや、こちらこそ、ごめん。ところで、このお店本当に素敵だよね」
「うん。朝食プレートもどんなのが来るか楽しみ」

テーブルに置かれたピッチャーから二つのグラスへ水を注ぐ啓輔の手許を見つめていた瑠美の前にグラスを一つ、もう一つを自分の前に置きながら啓輔が言った。

「今日は特別な日だね」
「え? 今日は何かの記念日だっけ・・?」
「だって、いつもとは違うから」

そうか。

いつもの休日の朝なら、先に私が起きて朝食を作る。

啓輔が少し後に起きてきて、リビングの椅子に腰かけたら新聞を広げて読む。

二人分の食事が出来たら、それぞれのトレーに乗せられた食事を啓輔がテーブルへ運んでくれる。

一緒に食べて、後片付けは啓輔の担当。そして、お互いが気ままに過ごす時間は最初はゆっくり過ぎていくが、夜になってあっという間に貴重な休日の一日が終わってしまったと、なんだかもったいない時間を過ごした気分になるのだ。

・・◆◇・・

それからほどなくして、料理が運ばれてきた。
雑穀が混ざった豆ご飯に、卵焼きと丁寧に焼かれた魚の切り身。生野菜のサラダではなく、豆腐やゴマで和えた野菜の総菜が3種類と酢の物。自家製のお漬物も添えられたワンプレートに、きのことわかめがたっぷり入ったお味噌汁がついていた。

「体に優しいおかずだね」
「ええ、味もとても美味しくてホッとする」
「レストランで、和の朝食。不思議な感覚がするな」
「毎週土曜日の朝食は、ここでとろうか?」
「いいね。賛成!」

・・◇◆・・

食事を終えて幸せに満たされたお腹をさすりながらぼんやりしている瑠美を見て、悪戯っぽい笑みを見せながら啓輔が言った。

「ゆっくりしたから、急ごうか」
「何で?」
「特別な休日を目いっぱい楽しむために、急いで帰ろう!」
「え??」

すみません・・と、食事を終えた食器を下げに来た店員さんに啓輔が声をかける。

「食後の紅茶ですが、テイクアウトに変更できますか?」
「はい、もちろん。ミルクやお砂糖はお付けしますか?」
「いや、ストレートで。お会計もお願いします」
「かしこまりました。テイクアウトの紅茶すぐにご用意いたしますのでレジでお待ちください」

もう少しこの素敵なレストランで朝のひと時をゆっくり過ごすつもりでいたのに、啓輔は急いで帰ろうという。何を考えているのかしら。

レジでお会計を済ませて、二人分の紅茶が入ったテイクアウトの袋を瑠美が受け取った。bean&beansを出て家に向かって歩き出そうとしたとき、啓輔がまた突拍子もないことを言い出す。

「さてと。これから、海に行かないか?」
{はあ? こんな格好で電車に乗るの?」
「誰も気にしないよ。パジャマっていうわけじゃないし」

啓輔は瑠美の手を握って、駅の方向へ促そうとする。

「ちょっと待って。その本、袋に入れるからこっちへ頂戴」

赤いカバーを掛けた本をテイクアウトの袋へそっと入れようとしたとき、豆菓子入りの小さな袋が二つ入っているのを見て瑠美は少し笑みがこぼれる。

「ちいさなおやつ付きだよ。ちょっとした遠足のお供にちょうどいいね。よし、海に行こう!」

駅から海側へ向かう電車の終点までは、隣駅で特急に乗り換えて終点の駅まで20分ほどだ。特に時間を合わせたわけではないのに、ホームに上がると電車到着のアナウンスが聞こえた。到着した電車には子供連れの家族が何組か乗っている。二人掛けの座席がちょうど空いているのを見つけて、二人で並んで座る。

「ねえ、啓輔。どうして突然海に行こうと思ったの?」
「海に着いたらわかるさ」
「え~?」

電車に揺られている間、車窓から春の日差しが私たちを包み込む。春の海で感じる日差しはどんな色をしているのだろう。春の海に行きたい理由なんて、どうでもいいか。少し冷めてしまった紅茶を口にして、一息つく。

まもなく終点に着くというアナウンスが聞こえてきたとき、左側のずっと奥の方に濃い水色の春の海が見えてきた。

「ここへは何度も来ているけど海の青って、夏とは違うワクワク感があるよね」」
「ええ、そうね」

終点の駅から、浜辺まではバスに乗って5分ほどの距離だ。

「いい天気だし、歩こうか」
「うん。運動不足解消に」

海へ近づくにつれ、潮の香りが強くなってくる。夏とは違って、意識を向けていないと感じないくらいの優しい潮の香りだが、街中とは違う香りに心が弾む。

この浜辺には何度も来ているけど、春の終わりと夏の始まりが同居している季節の潮の香りをかぐのは初めてだった。両手では抱えきれないくらい右にも左にも奥に、視界の先に春の青が広がる。穏やかな波が足元を行ったり来たりする。

言ってみれば理由がわかる・・か。ゆっくり、急いでここへたどり着いた休日の朝。今ここで二人、穏やかな気持ちで海を見つめているこの瞬間は、きっと特別な日の大切な瞬間なのだろう。

「ねえ、豆菓子、食べよう!」
「え~、何で今なの」
「理由なんて、無いよ」

(おわり)

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