第一章 家族の休日と幸せ
「ママ、行ってきます!パパ、早く行こうよ~!」
「勇希、迷子にならないでね。パパ、勇希の事お願いね」
「今日は、映画が終わった後のお楽しみのことしか頭にないから心配ないよ」
智は私の方を振り返り、のんきな笑顔で答えると玄関のドアを閉めた。
智と勇希は、自宅から歩いて十分の距離にあるショッピングモールへ一足先に出かけて行った。子供たちに大人気のアニメ映画を観るためだ。その映画は大人にも人気がある作品で毎年春頃に新作が上演されている。
映画館の座席は確保済み。
上映開始時間は決まっている。
そして、まだ時間は十分にあるのだからそんなに慌てて出かけなくてもいいじゃないと私は思う。とはいえ、少しでも早くその場所へ行きたい気持ちは映画好きの私にはよく解る。
ショッピングモールに併設されていている映画館は、週末はとくに混雑している。勇希はこの春から小学生3年生になったのだが、まだまだ行動が予測不可能だ。何かに興味をそそられると、急に走り出して行方不明になる。平日とは桁違いの混雑の中に紛れてしまったらお手上げだ。
常連になりつつある迷子センターへ迎えに行くと、心配でひどく動揺している私とは対照的に息子はいつも何事もなかったかのように落ち着いて座っている。私の顔を見て嬉しそうに駆け寄ってきた息子に抱き付かれると、手のひらに握りしめていた怒りの感情はすっと消えてなくなってしまう。そしてすぐに許してしまうのだ。
今日はずっと楽しみにしていた映画をパパと一緒に観ること。
その後に大好きなアイスクリームを買ってもらえること。
この二つの楽しみがあることを分かっているから今日は迷子の心配はないかな。
智と勇希が出かけて静かになったリビングで、私はおむつの予備や着替え、水分補給のドリンク、ウエットティッシュなど、必需品を忘れていないか確認をした。御手洗いもちゃんと済ませておかなければ。赤ちゃん連れの外出は荷物が多くて何かと不自由さを感じるものだ。
けれども、手がかかる時期はあっという間に過ぎていき、それは後から取り戻せない宝物のような時間だということを私は知っている。子育てのことでつい愚痴が口から溢れそうになったら、上を向いてやり過ごす。
「さあ、萌花もママと一緒におでかけしようね」
・・◇◆・・
生後五ヵ月になった娘の萌花をベビーカーへ寝かせて、智たちより十分ほど遅れて家を出た私はショッピングモールの隣にある公園へ向かった。萌花の首が座った頃から、雨の日以外はベビーカーを押してよくこの公園へ来ている。
いつものように萌花に声をかけながら自然の森エリアを散策しているとき、時折見かける愛犬を連れた女性と目が合ったので、軽く会釈をした。
お気に入りのベンチがある場所まで行くと、ベビーカーにストッパーをかけてゆっくりとベンチの真ん中に腰かけた。時計を見ると、映画が終わる時間まで二時間近くあった。
ベビーカーの中では、四日前に初めて寝返りをした小さな天使が、口元を少し緩めて可愛らしい寝息を立てている。親ばかだとは思うが、萌花は世界で一番かわいい天使だと私は信じている。もう一人の天使は・・、いえ、もう天使を卒業してしまったやんちゃ坊主はパパと一緒に映画を楽しんでいる事だろう。
少しずつずり落ちて萌花の足元に追いやられてしまった桃色のタオルケットをそっと掛け直し、柔らかい頬にそっと触れる、手から伝わるほんわりとした幸せを私はかみしめた。
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