こんにちは。あやのはるかです。
以前に書いた日記の内容に、現在の私の気持ちなどを加えて内容を充実させてみようと思い立ちました。
私は、高校生の頃に大きな嘘をつかれたことから母への信頼を失って、距離をとるようになりました。今となってはたいしたことないことかもしれませんが、当時は「裏切られた」という気持ちが強く、まあ、思春期の反抗期も重なったからでしょう、それまでの仲良し親子に戻ることが出来ませんでした。本当は大好きだったのに、
あれから、40年。13年前に関西から関東へ転居して物理的に距離を置いたことで母との間にあったわだかまりすべては、もうありません。自分自身年を重ねあのときの母の年齢よりずっとお姉さんになったことで、視座も高くなりました。あのときは、コミュニケーションのとりかたがお互い下手で、成り行きで着いてしまった嘘だったではないかと思えます。
今は、親も完璧ではない事は十分わかっている。親って、すごいんだ。自分自身も40年分成長したかと言えばそうでもないし、自分の息子に対してはどうなの?、ちゃんとやってあげられたのと思いますし。年を重ねることは、残念なこともあるけれど素敵で素晴らしいとことだと人生で一番若い今日という日にしみじみ思います。
今年の誕生日は、これまで出来なかった親孝行をやっとしてあげられるようになります。誕生日より2ヶ月早い4月にですが、母を連れて少し贅沢な温泉宿へ行くことにしました。これまで小さなプレゼントをすることとはあっても、旅行へ連れて行ったことはありません。今年の母子旅行が、母の人生の彩りの一つになればと思っています。
昨年腰の骨を骨折して寝たきりになるかもしれないという状況からリハビリを頑張った母。70歳を超えてから2度も大変な状況で入院したけれど、温泉旅行を楽しみに元気でいてくれていることはとてもありがたいです。
以下、6年前に書いた日記の内容です。
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2019年6月30日
先日、母の誕生日に合わせて休暇を取り、一泊で大阪に帰省しました。
今年78歳になった母ですが、5年前に胃がんの手術をしてから、急に痩せて小さくなってしまいました。食も信じられないくらい細くなりました。
とはいえ、昨年に比べると元気そうな様子。
できるだけ母の希望に沿った食事ができる店を探し、少し贅沢な和定食のランチでささやかなお祝いをしました。
「術後に比べると、随分と食べられるようになったんだよ。」
母はそう言いますが、半分程度残してしまった食事を見ていると以前のように食事を楽しむことはもうできないのかなと、少し悲しくなりました。
食事の後は、百貨店内をゆっくり見て回りました。
たまたま開かれていた画家さんや写真家さんの展示会をのぞいてみたり、文房具コーナーに立ち寄りお気に入りの物を探したり、喫茶店でデザートを頂いたりと、数時間でしたが2人で存分に楽しむことが出来て良かったです。
人生100年時代になったとはいえ、70歳を超えてから100歳までの間に大きな病気にかかることなく、事故に遭うこともなく、加齢による運動能力低下に逆らって元気で過ごすことができる時間はあまりないように感じます。
母が100歳まで元気で生きることができたとします。そして私が毎月帰省して、1日を一緒に過ごすことを22年間続けたと仮定すれば、母と過ごせる日々は264日ある計算になります。
でも実際は、毎月帰省することは無理だし、私自身が22年間帰省できる状態でいられるかどうかは分からない。
母もこれから身体が不自由になったり自由に意思疎通が出来なくなったりする日が早く来てしまうかもしれない。
帰省した1日を丸々母と過ごせる時間に充てることができるわけではなく、数時間だとしたら、264日どころか正味数日かもしれない。
そんなことを考えると、先日母と過ごすことができた数時間はとても貴重で大切な時間だったのだなと思います。
過ぎてしまった時間はもう取り戻せないし、これを書いているうちに私の時間も1秒、1分、1時間と、着実に人生の時間は減っていく。
なので、これから何のために何に時間を使うかということは本当に大切だなと改めて思いました。
明日から7月。2019年はちょうど半分が過ぎました。
この半年間、大切な事に使うことが出来た時間はどのくらいだっただろうか?ちゃんと棚卸をして、「大切な事」に意識を向ける休日を過ごしたいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
あやのはるか