●あらすじ●
恋のおまじないとして大切に飾っていたティーカップを手放すという決断をした麻優。部屋を片付け、残業続きで出会いも期待できない今の生活から抜け出すために転職活動をする。新しく決まった職場で手放したティーカップと再会するという偶然があり、また恋が芽生える予感も。読み切り短編小説です。
文字数:約7300文字
子供の頃のおまじない
秘密やおまじないや恋という言葉を聞くと、なぜかドキドキした。少しませた小学生の私の愛読書は、恋愛的要素のある物語だった。
シンデレラや美女と野獣のようなお姫様が登場するような有名で王道のお話も好きだったが、どちらかというと無名でほとんど知られていないような物語に引き付けられることが多かった。
本屋さんや図書館で、あまり誰かに触れられることなく埃をかぶっていそうな本棚から、新たな本との出会いを期待して宝探しをするように本を発掘しては読んでいた。
特に学校の図書館の一番奥の棚は、宝の山だ。市販されている本だけではなく、今は絶版になっている無名作家の本、どこかの誰かが趣味で書いた同人誌、コンクールの入選作品集などが置いてある。
その中から見つけ出した少し埃の匂いがする『ティーカップの旅』という物語のことが私は大好きだった。
物語の書き出しは、確か・・こんな感じだった。
「この物語を読んだあなただけの秘密のおまじない。明日、試してみない?」
秘密のおまじないとは、ペアのティーカップを一客だけ買って、使わずに食器棚の一番上の段へ飾っておくと、素敵な恋人との出会いを引き寄せるというもの。恋人と出会った後は、同じものを買い足して、初めて迎える三日月の夜にデートをする。その時ペアとなったカップを使って恋人と一緒に紅茶を飲むと、永遠の愛が約束されるとかなんとか。
大人になって仕事をしてお金をもらったら、最初に買う物はペアのティーカップ&ソーサーだと心の中で決めていた。というか、思い込んでいた。
どうしてかって?
だって、大人の女性は、素敵な人と出会って結婚することが一番の幸せだから。
そうでしょ?
ところが、素敵な恋愛を夢見て、中学、高校、大学へと進み、何度か恋する相手に出会うのだけれど、ドキドキしながら告白しても私はいつもあっさりとフラれてしまうのだった。
告白をしないまでも、相手にはすでに可愛らしい彼女がいたことも多かったのだが。
そんなことが続いたせいか、素敵な出会いは美女だけに許された特権なのだと麻優は自分に言い聞かせた。恋愛への興味を封印し別の事へ興味が向けていくようになった。
その後は一流企業へ就職することを目標に、流行のファッションを纏い合コンに明け暮れる友人との付き合いを避けて勉強に励んだ。出会いを期待して入っていたサークル活動もやめて、図書館へ行く時間を増やした。
リクルートスーツ姿が決まるように筋トレでスタイルを維持する努力を始めた。面接官の好感度を上げる方法や、第一印象を知的に見せるメイクを動画や本をみて練習をした。道で素敵な女性とすれ違えば、何故この人はこんなにも素敵なのかを研究してみたりもした。
麻優は明るい性格で社交的な方だったので、友人は多い方だった。けれども、目標を決めてからは誘いをいつも断るものだから、友人がどんどん離れていき、大学を卒業する頃は独りぼっちになっていた。
「学生時代の友情なんて、きっと、社会人になったらリセットされるし」
寂しい気持ちを認めずにさらに勉強に打ち込んだ。
そうして、小学生の頃に読んだ『コーヒーカップの旅』という童話の詳しいストーリーどころか、その童話を読んだことすら完全に記憶の隅に追いやられていった。いつの間にか麻優の価値観は、女性も仕事で認められて沢山稼ぐことが幸せだという方向へ置き換えられていったのだった。
努力の甲斐があって一流企業への就職が決まった時、地元を離れて一人暮らしを始めるつもりだと両親へ伝えた。少し驚かれたが、マンションを借りるための費用と3ヶ月分の家賃は、両親が就職祝いとして快く出してくれることになった。
その他に必要な最低限の生活雑貨と電化製品だけを揃えるため、就職が決まってから始短期のアルバイトを始めた。あとは毎月の給料の中から少しずつ必要に応じて買い足せばいい。まだ始まっていない一人暮らしに何が必要で何が不要なのかわからないのだから。
社会人生活のはじまり
「麻優ちゃん、元気にしていますか? 連絡が無いから心配です。落ち着いたら一度顔を見せてくださいね。忙しかったら、せめて声を聴かせてくれると嬉しいわ」
一人暮らしをして2週間が過ぎたころ、母親からLINEのメッセージが届いた。初めての社会人生活に、初めての一人暮らし。初めて尽くしの事に慣れるために目の前の事に必死だったから、たった一言だけそっけないメッセージを送った。
「大丈夫。心配しないで」
なんとも親不孝な私だなと麻優はつぶやいた。新しい生活が落ち着かなくても、心配をしてもらえることに感謝の言葉を伝えなければいけないのに。けれど、母が喜ぶような気の利いた優等生のメッセージを送る余裕はなかった。
何かと大変だった新人研修が終わり、少しは社会人らしくなった頃に、配属部署の内示があった。希望していた部署とは違う商品開発の部署だったが、同期の友人も一緒に配属されたことは心強かった。
それからすぐ、3回目の給料日やってきた。その日は土曜日だった。麻優は、前日の金曜日に振り込まれた給料の中から一ヶ月分の生活費を残して引き出した。両親へのプレゼントと自分へのご褒美買うために。
2つ隣の駅には、大型のショッピングセンターがある。食事や映画鑑賞もできるし、プレゼントを選ぶためのお店がたくさんある。長い間プライベートの時間を楽しむことを忘れていたし、気晴らしも兼ねて初めての場所へ出かけることにした。
「ウインドウショッピングなんて、いつぶりだろう」
特に何も決めず、ショッピングセンター内をゆっくり歩くっていた時に、ロイヤルコペンハーゲンのショップが目に留まった。
素敵な食器やカラトリーが並んでいて、引き付けられるように店内に入ると、色柄物だけではなく、真っ白なソーサー付きのペアのティーカップが何種類か並んでいる事に気が付いた。
その中にレース風のレリーフが施された上品なペアカップがあった。吸い寄せられるように手に取り小さな声で麻優はつぶやく。
「素敵。いいな、白って」
まるでカップに恋をしているようにドキドキとした気持ち。これまで経験はないが、ひとめぼれの気分ってこんな感じなのかなと思う。
「贈り物用ですか?」
「いえ。自分用に一客だけ欲しいのですが・・・」
「大丈夫ですよ。ペアでなくシングルでもお求めになれます」
いつか大切な人と出会い恋人になった時に、同じものを一つ買い足して一緒にお気に入りの紅茶を飲むためだ。なんてね。あれ?何でこんな発想になるの。
「そうだ。あの童話のおまじないだ!」
社会や現実の厳しさとは無縁だった少女の頃を思い出してしまった自分が少し可愛く思えて麻優は一人でくすりと笑った。
高級と言っても手が届かないほどではなかったので二客買っても良かったのだが、一客だけにしようと決めた。
本心は、仕事も大切だけれどやっぱり恋人は欲しい。だから、素敵な人との出会えるように子供の頃に胸がときめいたおまじないを試そうと思った。だるまに願いを掛けながら片目を書き入れるという願掛けもいいけど、恋愛成就にはティーカップのおまじないの方が似合う。
「ちゃんと大人になった今度こそ、素敵な恋人に出会えますように」
神様のお告げ?
けれど、それから数年たってもこのティーカップを使う機会が訪れることはなかった。
麻優が就職した会社は、1年後に業績悪化のために規模縮小やリストラが行われるようになった。どの部署も正社員はギリギリの人数で業務を回すようになり、麻優の残業が少しずつ増えていった。
もともと男性優位の社風で有給休暇や育児休暇も取りづらい雰囲気だったこの会社は、結婚している女性社員はいるが、子供はいない人ばかりだ。法律が後押ししてくれているとはいえ妊娠や出産を機会に退職をする人が多いのだ。また、早々に見切りをつけて転職をする人もいて、麻優の同期女性はどんどん減っていった。
こんなはずじゃなかった。一流の会社に入れば、お給料も高いし出会いたくさんあるはず。おしゃれをして素敵な恋をして28歳くらいで結婚するのだと思っていた。
仕事自体は好きだしお給料は良かったので転職なんて考えてもみなかった。でもこのままでいいのだろうか。相変わらず平日は残業が多く、きっちり週休二日といっても気持ちの余裕は奪われたままだ。
恋愛のことを考える余裕もなく、疲れた毎日を積みかさね。気が付けば20代最後の年齢になっていた。給料の高さだけで会社を選んだ自分、仕事にのめり込み過ぎた自分を今更ながら後悔した。
「明日は、やっと休みだ」
明日も会社だと思うと気が滅入るし帰宅する時の足取りも重いのだが、今日はちがう。久しぶりの三連休の前日だ。いつもの金曜日よりほんの少し足取りが軽い。
電車の座席に座ると、急に身体に力が抜けて視界がぼんやりとしてきた。降車駅に着くまで眠ろうと目を瞑った時、人の気配とほんのりアルコールの匂いを感じた。薄目を開けると、白いシャツを着た大学生くらいの男性が立っているのが見えた。
週末の終電は、お酒を飲んで帰る人が普段より多い。車内に広がるアルコールの匂いだけでお酒が苦手な麻優は酔っぱらったような状態になってしまう。バッグからハンカチを取り出し鼻に当てた時、前に立っている男性に声を掛けられた。
「こんばんは。お姉さん。僕はユウジって言います。実は、あなたにお願いがあって・・」
「は?」
「僕、恋人が欲しいから彼女を探すことを手伝ってくれませんか?」
えーっと。ユウジさん?ですか。あなたは酔っぱらっていますよね。ごめんなさいね。私はあなたのことを知らないし、仕事で毎日忙しくて死にそうなの。初対面の人に、お願いって何?第一、どうやって手伝えばいいのかわからない。あ、私?いやいやいや。私はあなたの恋人にはなれないし。
戸惑った麻優は、脳内で忙しく繰り広げられた一人会話を振り払い、少し怒った口調で答えた。
「私自身に恋人がいないのに、なぜ見知らぬあなたの恋人探しに付き合わなくてはいけないの?」
「そうですよね・・・」
「居眠りの邪魔をしないでくれるかな」
「はあ・・すみません」
聞えるか聞こえないかの小さな声で謝るユウジという男性は、寂しそうな顔をして麻優の前から立ち去って行った。イライラが混じったため息を大きく吐き出した麻優は、再び目を瞑った。
新しい明日へ動きだそう
翌日の土曜日。いつもより早く目覚めた麻優は、ふと、食器棚の一番上に大切に飾っていた白いティーカップを見つめた。そのカップを買った理由は、一目ぼれだった。小学生の頃に読んだ童話に書かれていた恋のおまじないを使うためにちょうど良かったし。
「そういえば、このカップ一度も使う機会がなかったな.これからも・・きっと」
今日、なぜかそれを使って美味しい紅茶が飲みたいなと,麻優は思った。忙しさにかまけて生活感が丸出しの雑然としている部屋を眺めた。ゴミや洗い物は溜めないようにしていたものの、部屋の隅や見えないところには『だらしないお化け』が住み着いている。
「さてと。まずは、要らないものから整理しよう。お茶を飲むのはその後ね」
一通り片づけ終わった彼女は、紅茶専門店へ出かけていつもは手を出さない高級な茶葉を手に入れた。いつかを待っていても、今の生活を続ける限り恋人なんて見つからない。それどころか、楽しいことも恋も経験せずにただ年を取っていきいずれ後悔だけを抱えている自分になる。
今更だが、そんなことに気付いたのは、昨夜の電車の中の不思議な出来事のおかげだ。ユウジは自分の恋人ではなく、私自身の恋人を見つけるために時間を使えばいいと教えてくれた天使だったのかもしれない。
今日買って来た高級な茶葉を使い古したティーポットへ入れ、白いカップに注ぐ。初めて白のティーカップに口を付けた。まるで初恋の人とのファーストキスのように。
それから麻優はティーカップを丁寧に洗い、水気をふき取ってレースのランチョンマットにカップを置き写真を撮った。そして緩衝材に包んで箱に大切にしまった。すぐに、フリマアプリを登録してティーカップを出品した。
「初恋の大切なカップを手放します。最後に一度だけ使ったけれど、ほぼ新品です。消毒済み、綺麗にラッピングしてお渡し致します。大切に使ってくれる方の手に渡ることを希望しています」
ティーカップは、出品してから2日で売れた。年齢や顔は分からないけれど隣の街に住む男性だった。
次に、退職願を書いた。貯金はしばらく失業しても何とかなる程度はある。いざとなれば実家がある。もう長い間ご無沙汰だし、娘が一緒に住みたいと帰ってくれば嫌な顔はしないだろう。
お告げは、本物?
退職願を書いた日から3カ月後に麻優は、数社面接を受けたうちの1社に採用されていた。前職よりもかなり小さな会社の課長補佐として。
今日から新しい会社で働く。初出勤のこのドキドキした気持ちは久しぶりだ。定時よりも30分以上も早く到着した私は、ビルの入り口に立っていた警備員さんからビジターカードを受け取りオフィスに入った。
「おはようございます」
部屋に入ると奥に座っていた私の上司となる男性が立ち上がり、迎えてくれた。上司は面接の時に面接官の左隣に座っていた人だった。
「今日からお世話になる一瀬麻優(いちのせまゆ)です」
「一瀬さん、課長の田端です。これからどうぞよろしく。席は、こちらを使ってください」
田端課長のデスクには、どこかで見たことがある白いティーカップが置かれていた。受け皿の代わりに、布製のコースターが敷かれている。麻優がティーカップを見つめていることに気づいた田端課長が言う。
「ああ、これ?比較的高級なティーカップみたいだけれど、フリマアプリでたまたま見つけた、ソーサー付きで300円のカップだよ。妻には、『ペアカップの片割れなんて・・。なんだか縁起が悪い』って文句を言われたけどお気に入りなんだ」
私があまりにもティーカップを真剣にみつめていたからか、田端課長はティーカップにまつわる事をいろいろと話してくれる。そうだ、これは間違いなく私がフリマアプリで出品したカップだ。隣町に住んでいる購入者の男性が私の再就職先の課長だったなんて、なという偶然だろう。
思わぬ場所で、あのティーカップと再会をした。まさか、このようなところで。もう一度ティーカップを見たとき彼が微笑んだような気がした。彼って・・カップに性別があるのかどうかはわからないけれど。このティーカップは私がフリマに出品したものだということは課長には黙っておこう。とにかく、大切に使ってくれる人の手に渡ったことが麻優は嬉しかった。
新しい職場は残業がほとんど無かった。残業をしなくてもお給料も前職とあまり変わらない。既婚女性や子育て中の女性も多く、いわゆる女性が活躍できる、女性に優しい会社のようだ。時間も気持ちの余裕もできた。
男性社員も年代は様々だが、ほとんどが既婚者らしい。独身男性は新卒か第二新卒の年代の人ばかりで、アラサーの私の事などお呼びではないだろうから社内恋愛は期待できない。結婚相手を探しに転職したわけではないけれど、つい恋愛や出会いについて考えてしまう。
前職と比べると責任は少し重くなり、仕事の内容も難しくはなったが、ここでなら自分らしさを失わずに、人生を歩いていけるかもしれない。第二ステージという大げさなものではないにしろ、私にとって新しい生活、そして人生の始まりだ。
「そうだ、一瀬さん。紅茶が好きなら、JI-YOUというティーショップがお勧めだよ。駅とは逆の方向だけれどきっと気に入ると思う。一度行ってみたらいいよ」
会社の帰り、駅とは逆の方向にある田端課長に勧められたそのお店に早速行ってみることにした。
明日も、いい日になあれ
紅茶専門店JI‐YOU・・・ここだ。
少し変わった名前の店のドアを開けて中に入ると、アイボリーの空間が広がっていた。従業員はみな白のシャツに濃い茶色のエプロンをして名札をつけている。そこには様々な産地やブランド紅茶の葉が売られており、店内は良い香りに包まれている。
JI-YOUでは、店頭で売られている茶葉の中から月替わりで5種類を店内でも飲めるようになっている。外側も内側も真っ白のティーカップで提供しているようだが、ティーカップも選ぶことができる。カウンター席に座った麻優はティーカップを選ばずに、アップルティーセットを注文した。
「今週も一週間お疲れ様、私」
お酒が飲めない麻優は、紅茶で自分自身をねぎらう。人に入れてもらったお店のお茶はなぜか自宅で飲むものとは格段に味の差があるように感じるのだ。ささやかな贅沢。
少し離れた場所で、店長だろうか、麻優は自分の事を柔らかい笑顔で見つめている男性に気が付いた。
「あれ?どこかでお会いしましたっけ?」
「いえ。お客様とお目にかかるのは初めてです」
「そうですよね。私、この店に来るのは初めてですから」
「気に入っていただけましたか?」
「ええ。もちろん。最近この近くの会社に転職したので、またいつでも来られます」
「ありがとうございます。是非おまちいたしております。」
では、ごゆっくりお過ごしください。あ、もしよろしければこれをと、その男性から名刺を受け取った。
「ありがとうございます」
受け取った名刺を、その時はちらっと見ただけで麻優は手帳に挟んだ。
店を出て、電車に乗った。運よく座れたので、さっきもらった名刺を取り出し、何気なく眺めてみる。そこには「Tea Boutique JI‐You オーナー 城山侑史(Yuji Shiroyama)と書かれていた。
あれ?
Ji‐Youという店は、オーナーの名前が由来だったことに麻優は気付いた。ジユウ。ユウジという名前の、「ゆう」と「じ」をさかさまにしたのだ。不思議が詰まった新しい生活のはじまりに、私は希望が膨らんでいった。
以前、出会った電車の中での酔っぱらいのユウジくんは、Ji-Youの店長との出会いを予言していたのかもしれない。
JI-YOU・・・自由。
そうだよね。これから私がどんな人生を過ごそうかも自由なのだ。年下の男性やずっと年上の男性に恋をすることだって。
ところで、城山さんって何歳だろうか。独身かな?
今度、聞いてみよう。いや・・・何度かお店に通った後にしておこう。さあ、楽しみが一つ増えたよ。
「新しく始まった生活よ、ありがとう!!」
麻優は明日を楽しみに、笑顔で眠りについた。
(おわり)
ここまで読んでいただきありがとうございます。
あやのはるか
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